昭和41年12月06日 夜の御理解
神様に通うというのは、どういう時に通うかというと、例えば、ま、そんなにせんでもいいぞと、そんなに参って来んでもよいぞと、ね。そげんするごと要らんがと、例えば言われてもですね、それをそうしなければおられないという時に、神様に通うと思うですね。ま、そげん毎日々参って来んでもよいがとね。と、いうてもやはり、参らなければおられない。今日は、宮崎友足さんところの、お父さんのくにとしさん所の、別れ家が今度出来たんです。
すぐそこ、そこにその前から地鎮祭をと言う事であった。私地鎮祭というのを今日初めて仕えた。もうここに沢山の人が事のお願いの事に出て参りましたから、私が申しました。金光様の御信心はね、例えばあそこであの土地を払い清めると、例えばここに不浄なのものがあるなら、それを払いのけると言った様な例えば、この地鎮祭がそう言う様な意味の事をする訳ですから、その必要はないとお取次を頂いて、そのここにこうして家を建てさせて頂きますから、といやぁもう日柄も要らなきゃ方角も要らんと。
鬼門ずみとか何とか、使い勝手のいいのが一番ええ家相だ。だから私がお願いしとるから御神酒だけ頂いて行ってから御神酒だけ蒔け。そしてその建てさせて貰いなさい。家を建てさせて貰いなさい。これが私の生き方だったんです。ところが今度はですね、宮崎さんがどうでもやはり地鎮祭をしてくれとこういう訳なんです。ですから私は只普通でする地鎮祭ではいけないと思ったからね。
その事を私神様にお願いさせて頂いて、ね、やはりこのこと改まって、例えばんなら、さあ地鎮祭というお祭りというのですから、やはり只では出けません。そこにま忙しい中にもお祝い餅をつかんならん、御神酒も買うて来んならん。お頭付の一つでも買うてこんならん。ね、そしてさあ菓子だ果物だという風にお供えの一つでもさせて貰うてから、そのだからこのお祭りの意義というものがですね、もう、もうそげなお祭りわざわざそげんもうお供え物やらせんでん、神様食べなさる筈なかっちゃから。
そげなこと要らんよと真心もってお願いすりゃいいよ、ね。参って来んでも真心もって内でお願いすりゃいいよと。それであぁそうですかと言うたんじゃいけん、と言う事ですね。私思うたんですね。今日ね、それでよございましょうけれども、やはり天地の親神様に対するところのお願いであり、天地の親神様の御地内を借らして頂くのであるから、やはりそこんところを御粗末御無礼がないように、お願いするお祭りを仕えて頂きたい、というので私しはそういう気持ちで仕えさせて貰うた。
もうほんとにあのうお祭りを仕えて私自身が有難うなったです。
もう今日は夕方でしたから、もうあの寒い中に参りましたけども、その寒さを寒さと感じん位に、私は有難いものを感じたんです。信心とはですね、もうこのいわゆる割り切ったら信心になりませんて。いわゆるそのドライな信心では、もう金光様の御信心ではですね、神様に通わないです。理屈はそうなんだけれど、あ、こうそげん毎日参って来んでええがて、ね。それとよく似た話がございますですね。唐樋常蔵という周防からお参りになった先生、大変お徳を受けられた先生だと。
それこそ飛ぶ鳥を落とす様な御比礼を頂かれた。信者がその時何千人とあった。やはりこの大阪の難波の近藤藤守という先生も、やはりその大変な御比礼頂いておられたね。二人共やっぱり片っ方は山口県の周防から、片一方は大阪から毎月そのお月参りをなさった。今のように汽車の便利がええ時じゃないから、途中から舟にしたてて舟に乗ったり、又は歩いたりしてから、そのお参りをするのである。その月参りなんですから、並み大抵のこっちゃない。それをまぁ金光様は教祖の神様は仰ったんですねえ。
わざわざもう山口からその大変な経費を使うてから、ね、参って来んでも度々そう月々参って来んでもいいよと。そう言われりゃそれもそうじゃと。うちから拝むとうちから拝んでもええ。真心込めて拝みゃいいからと、いうのがこの周防の唐樋常蔵先生の頂方であったと。片一方その近藤藤守先生の方は、そのお参りして来るたんびにその言われるんですね、金光様から。それでもやはり参って見える訳なんです。しかも奥様と二人で参って見える。それで少しこうその荒立てて仰ったそうです。
あんなにこう、あの私度々月々参って来んでもいいて。沢山のお金を使うてから参って来んでもいいて。そしたらもう、藤守先生がそのお言葉に対してからです、金光様お言葉をお返しして申し訳ございませんて。申し訳ございませんけれども、これだけはどうぞお許し下さいて。月々私共夫婦の者こうして、お参りさせて頂くということはです、もうほんと私共は唯一楽しみなんでございます。私共には両親がございません。勿体ない話でございますけども。
大谷に居られます生神金光大神様を親様と思うて、いわばお慕い申し上げてからの、そのお参りでございますから、このことだけは 甘んじて お許し下さいと言うてそのお願いされたと言う事です。時に御裁伝が出たんです。神様が教祖の神様をお体をお言葉を借ってから、いわゆる御教えを御裁伝と申しますね。そん時にもう近藤藤守、真の信心になったというお言葉であったということです。近藤藤守真の信心になったと、ね。ま、先生があぁ言うて頂いたから、そんならそげな風にします。
御本部参拝でもそうです。先生とお話したことですけど、この十二月のお参りと言やあ椛目から、五十人多い時は六十人位参ります。年末の御礼であります、ね。又正月には参りませんから、来年のお願い参りでもある。特に四神様のお祭りと十二月の、あの十日のあのお祭りは報徳祭、二代金光様のお祭り。二代金光様のお祭りと言やあ、いわば昔は九州のお祭りと言われとった。小倉の先代桂松平先生が思い立たれたお祭りであった。お供え物全部一切万端に、その経費の全部を小倉が持たれた。
そして御本部の先生方で、お祭りを仕えられる様になった。それを全国から参って来るようなことになったのが、あの報徳祭の一番始まりなんです、ね。ですからもう、九州のもの、それこそ教祖大祭にも、ま、引けを取らん位なですね、いわば貸切り列車をいくつも仕立ててからでもお参りさせて頂かなければならないお祭りなんです。ですから椛目ではそういうおかげ頂いて居った。ところが私何時も参拝者をズーッと書き上げる。ところが誰あれもその申し込んでいない。
もう善導寺から、もう大抵電話が掛かって来てから、早う伝票持って来てくれというて電話が掛かって来た、ね。先生何人申し込んでござった、六人かその位でしょうちゅう、こう言う、ね。ほんとに椛目の者が、改まらんならんとこである、と私は思うたね。本当はね、報徳祭の意義というものをですね、なるほど今椛目が一人ひとりが大変な時である。もう他の事なら経費なんかそれこそ、一銭でも節約しなけりゃならん時でもある。大修行しよる時でもある。
けれども、であるならある程にです、これはお参りさせて貰わなければ、もう随分御本部にも私共疎遠になっとりますからおかげ頂きたいという私はほんとは申し込みは十人しかしとらんけれどもですね、やっぱり沢山の申し込みがあるだろうと、まぁ私共は期待しとった。ところが案に相違して、まそういうことでございますけどもですね、私共がそこにその止むに止まれんでございましょうけれども、そうさせて貰わなければ居られないと云う信心なんです。
今日の、ま、入れ混ぜたお話でございますけども、その友足さんところの地鎮祭はです、そういう意味合でですね、いやそれでも地鎮祭仕えて頂きたい、ね。天地の親神様に対してね、経費は問題じゃありません。時間の問題じゃありません。先生方にご迷惑を懸けますけれども、やっぱり地鎮祭はして頂きたいとこう。だから普通の地鎮祭じゃない。払うたり清めたりするというお祭りじゃない。不浄なものがあるなら、払い除けるといったものじゃない。
天地の親神様に対するところの、お願いのお祭りなんだと。ね、そしたら第一神様がですね、天候の事を願えと仰った。地鎮祭させて貰うならやっぱり、第一何といっても天気なのですから、先ず天候の事を願えと。先ず天候のことを願えとね、棟梁大工始めですね、左官あらゆる職人達の心身の上に、怪我過ちのないように願えと。それだけじゃいかんて、家が立派に建ったというだけじゃいかん。この家が繁盛の家にしておかげを頂く為にお願いをせよ。
もしこの家建てるのに、家相ども見て居るような事があるなら、その事を天地の親神様に詫びよと。それだけのお祭りだった。やっぱりその、その形式じゃないですね。お祭りと云うのはね、やはり経費をかけてでも、そうしなければ居られないというね、だからいわゆる・・? 私がもうお取次頂いてから私がちゃんとこっからお願いしとくから天地の親神様にお願いしとくから、もう心配することは要らん。もうその、その要らんことせんでもいいと言うてもうさせもしませんでした。
又しもしませんでした。それでもそれどうでもして頂くという事になってくるところにです、そういう様なこれから椛目の人達が地鎮祭をしてくれという時にゃ、今日のお祭りが一つの手本になりゃと私は思うんです。成程天気の事も願え、職人達の事も願え、ね。信心するのであるからひょっとすりゃ家相でも見て居るようなことがあるかも知れん。家を建てるのに、それならその事を天地の親神様に詫びよと。そういう事は天地の親神様に対するところの、いうならばケチをつけるようなもの。
こげな勿体ない話はない。もう家相というのは使い勝手がよいのが一番よいのじゃと。そすと同時に又たまがった。そしてこれが払い清めになるのだ。形のものじゃないて、金光様の御信心は。と言うのはです、あのう大祓を奏上させて頂いとりましたらですね、親と子とおかせる罪、子と母とおかせる罪というところがあるでしょう。あそこんとこだけが二回続けて上がったんですよ。ははぁこりゃ何と言うても例えほんとおかげ頂くという事はです、人間の和が第一なんだと。
親と子との間にね、又は夫婦の間に、兄弟との間にね、親と子の中に子と親の中にです、私はお粗末御無礼があって居るような事があるならば、そこんところいわば繰り返し神様が詫びて下さったという感じが致しますね。ですからその事が、その事が私はいうならばもうお祓いなのである。土地を祓うのじゃない、自分の心を祓うのじゃ。自分の心を清めるのじゃ。ということを私気付かせて貰って、その後にその御理解を、その事皆さんに聞いて貰ったんですけれど、ね。こげえん遅うなってしもうちから。
大体四時のお祭りじゃった。それがそういう風に遅くなってそういう時間になってしまった。もう薄暗いになってしまったね。所が肝心要の友足さんがあの居られない。棟梁が来る事になった訳でもないでしょうけれどもですね。今だから私その事も御祈念中に気になっとったんです。はぁこれはほんに何といその事もそこを丁度そんな遅うから帰って見えたんです。さぁなぁあたから、いっちょ玉串上げて下さいと事でです。
もう万事万端の上に、成程遅うなった崎さんどうでもこうでもね、天地の親神様に対するところのお願いま、それは地鎮祭の積りであったでしょうけれどもですね、いうならどうでもお祭りをして欲しいといいう、その願いに神様が応えて下さって居る様なものを、その中から私は感じたんですね。信心とはですね、ですからもうよかっと言われてから、あぁそうですかと引き下がるもんじゃないと。
やっぱそうさせて貰わなければ、居られないとうもの、ね、又話はごっちゃになりましたけれども。例えば近藤藤守先生と、あの唐樋先生の場合でもそうであった、ね。近藤藤守先生の場合その時に御裁伝が下って、近藤藤守真の信心になったと神様が、いわば感嘆された。感心された。そういう心掛けならば ゆっくり帰って来いよ、というわけなんです。そして次に仰ったね。
御裁伝の中にです、ね、神は何処からでも拝まれるけれども、金光大神は大谷、備中大谷に来なければ合われぬから、と言う様な事を仰ったげな。これ素晴らしいでしょうが。御本部参拝それなんです。御本部行かなきゃ金光様にはお目にかかれんのです。御本部行かなければ奥城でも いわばここでは頂かれんのです。ね、片や唐樋常蔵先生の方はですね、まぁそう言う様な事が境かどうかは知りませんけども。それからですね、もうそれこそもう一年一年寂れていった。
御晩年の頃はですね、小倉の教会に、いうならそのいわば居候のごとして、見えられる程にそれこそお広前はペンペン草が立ったという話が残っとりますね。そしたら信心はですね。おかげ頂く頂かんのその際というものです。分かれ道というのはです、初めの間は何でもないごたるけれどもです、段々段々片一方は西にいく、片一方は 東に行くということですから、こんな開きがでけて来る。椛目の人たちはここんところを、ひとつ大事にしていかなければいけない、なぁという風に感じますですね。
どうぞ。